加藤高明病死
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若槻礼次郎内閣(憲政会)
協調外交を展開(幣原外交)
一方、戦後恐慌の対応不十分から大財閥強化
大蔵大臣の失言による金融恐慌
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田中義一内閣
モラトリアム(支払猶予令)を発する
恐慌鎮めるも、大銀行に整理
選挙で共産党に近い労働農民党がいたため、治安維持法を改正した(死刑オッケー)
また、協調外交維持したものの、山東出兵
これは話し合いで解決
田中は責任を負う
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浜口雄幸内閣発足
金解禁を行う
これにより世界恐慌も相まって昭和恐慌発生
ロンドン海軍軍備制限条約を結んだものの、要望にあってなかったので統帥権干犯問題で批判される。
結果右翼に狙撃され退陣
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若槻礼次郎再び
陸軍の動き、満州事変、恐慌への対応でいけんがわかれ退陣
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陸軍は満洲国作ったが、犬養はこれに消極的だったので、暗殺された。(五一五事件)
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西園寺により、海軍穏健派の斎藤実が首相に
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岡田啓介内閣
大蔵大臣高橋是清は恐慌脱出のため、金輸出解禁した。
これでだいぶ良くなったものの、軍備拡張には消極的だったので軍部と対立した。
天皇機関説禁止のため国体明徴声明を出した。
皇道派がクーデターして、高橋是清と斎藤実を殺害(二・二六事件)
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広田弘毅内閣
陸軍に人事干渉された。
日独防共協定結ぶ。
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近衛文麿内閣
自由を戦争のため一部禁じた。
戦時統制経済の開始。
また、蔣介石政権との和平交渉もやったが結局解決せず、話し合いも今後しないといった。
国家総動員法を制定した。
汪兆銘工作した。東亜新秩序声明出した。
大政翼賛会のボスでもある。
対米強硬論をとなえる松岡洋右を更迭するため、一旦退陣。
その後再び成立させるも、陸軍を説得できず退陣。
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近衛内閣の陸軍大臣。
太平洋戦争のときの首相。
後にA級戦犯にされて死刑される。